オレステイアを読んだメモと雑感。

花組の永久輝せあさん主演「冬霞の巴里」がとてもよかったので、その勢いでモチーフになったという古代ギリシアの作家アイスキュロスの悲劇作品三部作「オレステイア」を読みました。

私が読んだのは岩波書店「ギリシア悲劇全集1・アイスキュロスⅠ」に収録されているものです。

以下は自分の備忘録と雑感が入り混じったメモ。ちなみに、古代ギリシア関連の予備知識等は皆無の人間です。

花組「冬霞の巴里」についても触れていますのでご注意を。

「冬霞の巴里」公式サイトはこちら

オレステイアは三部作ひっくるめての名称。

第一部:「アガメムノーン」
第二部:「コエーポロイ」―供養するものたち―
第三部:「エウメニデス」―恵み深い女神たち―

以上、三作まとめてが、「オレステイア」と呼ばれる戯曲だそう。

私が読んだ「全集」には、解説もついていたので、本文を解釈するのに結構頼りにしてしまった部分があります。「解説」を通して理解した部分が多いので、自分がまっさらに感じたこと、というよりは初めから「解説」のフィルターを通しての理解と感想になっているであろうことが、少し残念です。でもしかたがないですね。世界観の予備知識が皆無なので、解説に頼らないと感想にすらたどり着けなかったと思うので。

復讐をはたすこと=正義 というのがこの時代の当然の概念だったらしい。なにかをされたらやり返す。やり返されたからまたやり返す。

永遠に続く連鎖。それって、ほとんど呪いだなと思った。復讐=正義=呪いともいえる。

「為したものは、同じことをその身に為されるべし」
解説によると、オレステイアはそれに疑を唱えるお話、らしい。

第一部:「アガメムノーン」

この三部作は、話が変わるたびに「悪」とされる対象が変わっていくんだなと思った。

一部のタイトルでもある「アガメムノーン」は、ギリシア側総大将の名前。冬霞でいうと、和海しょうさんが演じたオーギュストにあたる存在かと。

一部は、クリュタイメーストラー(冬霞でいうと、紫門ゆりやさんが演じたクロエ)がアイギストス(冬霞でいうと、飛龍つかささんが演じたギョーム)と手を組み、夫であるアガメムノーン(オーギュストですね)を手にかけるまでが描かれている。

冬霞では、オーギュストとギョームは兄弟だけど、オレステイアでは二人は従兄弟。

嵐を鎮めるために、アガメムノーンは娘のイービゲネイア(冬霞でいうと、琴美くららさん演じるイネスかな)を贄として、命を奪った。それがクリュタイメーストラーが夫を殺した理由の一つ。

ここではアガメムノーンが「悪」の立場という印象。

第二部:「コエーポロイ」―供養するものたち―

第二部はオレステース(冬霞でいうと、永久輝さん演じるオクターヴにあたる)がクリュタイメーストラーに復讐を果たすまでのお話。
このお話の冒頭、オレステースが「私はいまこの国の土を踏み、帰ってまいりました」と言うんだけど、これが冬霞の冒頭の「ただいま、この腐った街パリ」になってるの、面白いなと思った。
姉のエーレクトラー(冬霞でいうと、星空美咲さん演じるアンブルにあたる)も出てくるけど、冬霞と違って出番自体は少ない。冒頭の邂逅のみ。母クリュタイメーストラーとその愛人アイギストスの虐待に堪えている設定。

オレステースと一緒に亡命先から帰ってくるピュラデースは、冬霞だと、役割的に聖乃あすかさんが演じていたヴァランタンの元ネタなのかな。

彼はオレステースとずっと一緒にいるけれど、台詞を発するのは一場面だけ。いざ母親と対峙したとき、オレステースは母の命乞いをする姿に、復讐することを一瞬躊躇う。共にいたピュラデースに、本当に復讐してもいいのだろうかと問うと、ピュラデースは復讐すべきだと迷いなくオレステースの背中をおす。そこがピュラデースが言葉を発する唯一の場面だ。

このお話では、クリュタイメーストラーが悪役。

第三部:「エウメニデス」―恵み深い女神たち―

第三部は、オレステースの母殺しについての裁判が舞台。復讐のためとはいえ、母殺しは罪ではないのか。

オレステイアは「復讐は正義である」という価値観に疑を唱える話、と、解説で述べられていることにいまいち納得できなかったんだけど、そもそもこの「裁判にかける」ということが当時の新しい価値観だったのかな?この第三部が往来の価値観「復讐=正義」に「疑を唱えている」のかな。

裁判の結果、陪審員の票は真っ二つに分かれるが、いろいろあって結果オレステースは無罪放免になる。

結局復讐を果たしたオレステースが無罪放免になるから、復讐=正義のままじゃない?と思ったのでした。そもそもこの一冊しか読んでいないし、この辺りの教養もないので、オレステイアが、復讐に疑を唱える話という解釈がどれだけしっくりきているものなのか、自力では分からないのが辛いところ。……などと、全くの門外漢が「解説」に対して思うのもどうなのかとも思いつつ。でも、価値観をひっくり返す話ではなくて、疑問を投げかけるだから、裁判にかける時点で疑問を投げかけてはいるのかな。

それとも、母を殺した息子が、その罪を「母と同じように殺される」という形で贖うわけではなく、「無罪放免」になるというところも、往来の価値観と異なるといえばそうなのだろうか。このあたり、考えれば考えるほどぐるぐるしてしまう。

オレステースは、アポロンの命で母に復讐した。オレステースはそれを主張するし、アポロンもそれを認める。

冬霞でも、この復讐は父さんのためだ、父さんの願いだ、みたいなこと言ってたなーと頭をよぎった。(「誰か俺に命令してくれ!」と叫ぶ場面もありましたね)だから、もしかしてオーギュストは最初に復讐される父だけでなく、アポロンの役割もかねていたのかな。

(そもそも、神話のことをよく知らないから、なんでアポロンがこんなふうにこの物語の中で強く出張ってくるのもよくわからなかった。まだ一回しか読んでいなくて、再度読み返してみたら理解も深まりそうだけど、気力がないのでとりあえずこの時点、この理解度でのまとめです。)

裁判は、実質、アポロンvsエリューニュス。
エリューニュスは復讐の神様。母を手にかけたオレステースもまた、別の誰かに復讐されるべきと主張している。

第三部で、糾弾されるのはオレステース。

裏の裏は表みたいな。

エリューニュスは復讐の神様……でもそれは、必ずしもそうじゃない。正しくは「悪には悪を」「善には善を」というのがその根底にある。「為したものは、同じことをその身に為されるべし」は復讐だけじゃない。善もまた同じ。だから、最後エリューニュスは恵み深い神様になる。「復讐の女神」であったエリューニュスが「恵みの神様」になるラストは、復讐の連鎖の終わりともいえる。復讐=正義の否定にもつながる、のかな。

章ごとに変わっていく立場で、「復讐される人」は糾弾される人としても描かれていると思うんだけど、第三部での糾弾される人・オレステースは裁判で庇ってくれる人もいるからか、総合的にクリュタイメーストラーに辛辣な印象を受けた話だったな。復讐の連鎖であればみんな等しく罪びとじゃないの?と思うんだけど。同じ「復讐された人」でも、アガメムノーンはかばわれている印象を受けたので尚のこと気になってしまった。でも、第二部・第三部の主役?ともいえるオレステースは、アガメムノーンのための復讐者だったから、そういう印象になっても当然か。

最後に巻末付録で大学の先生方による「ギリシア悲劇全集」の月報が付いていたのだけど、そこでも「クリュタイメーストラーは悪女とされがち……」という記載があったので、一般的にも「悪」に描かれがちなのかもしれない。私にはあまりそういうふうには思えなかった。それはもしかして前提に冬霞のクロエがいるせいかもしれないけど。

こまごま雑感。

・戯曲なので、舞台演出についても記載と解説があって面白かった。この時代は役者3人と12人のコーラスという編成が基本だったそう。「コロス」という言葉は宝塚で知った言葉(さらに厳密にいえば、2018年の雪組ファントムで覚えました。コロス)なのですが、合唱隊のことなのですね!コロス=コーラス。

・2000年以上も前のお話なのに、人間って結局あまり進化しないんだなぁと思った…。大事な人を奪われたからやり返す。愛人、浮気する人される人のどうしても生まれてしまう憎しみ。今も頻繁に物語の主体になる概念ですよね。

・2000年も前の時代の人たちも、今の私たちと同じように舞台で上演されるお芝居を楽しんでいたんだと思うと親近感がわきます。

「冬霞の巴里」脚本・演出の指田先生への興味。

冬霞自体も面白かったけど、オレステイアを読んだらますます興味深くて。お話に、というよりは(いえ、お話自体への興味も深まったのですが!)、これを元ネタにして、あの世界を描いた指田珠子先生(ご本名なのでしょうか、お名前を「しゅこ」と読むのもなにやらカッコいい……!)への興味もかなり強まりました。先生のバウデビュー作、「龍の宮物語」も早く観なくては。話題になりまくっていたのは知っているのですが、まだ観ていないのです。

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